KABUOカブで激走。山形、東北街道巡りの旅(たまには海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります。目標は東北市町村全制覇

ちょっと怪しい天童温泉街を行く

どーもKABUOです

今回は、天童市温泉街を中心にしながら

天童温泉の歴史についてご紹介させていただきます

今回少しアダルトな場所も行きましたので

嫌悪感や未成年のかたはスルーをお願いします



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天童温泉の歴史からご紹介します

1911年(明治44年)、鎌田地区で井戸掘りをした際に温泉が発見され、翌年開湯した。 開湯当時は鎌田温泉と呼ばれたが、その後天童温泉と改め現在に至る。 2011年に開湯100年を迎える。[2]。

ウィキペディア 引用



開湯事態は結構最近でそれほど古い歴史があるわけ

ではないですが、結構外装が大きな造りの宿も

多く、高級な印象を受けます



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ほほえみの宿滝の湯

http://www.takinoyu.com

公式ホームページ



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美味求真の宿 天童ホテル

http://www.tendohotel.co.jp/sp/

公式ホームページ



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ホテル王将

http://www.ohshokaido.co.jp/hotelohsho/

公式ホームページ



高級な宿に泊まったり、宴会に出かける機会も

無いKABUOですが名前位は聞いた事がある宿です

・・・・一生無縁だと思います。



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ホテル街の裏手には飲み屋もちらほらと・・・・



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スナック街にもやって参りました。

何か怪しい匂いがしてきました。



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昔はストリップ劇場もあったらしいのですが

少し廃れてる印象も受けます

夜はまた違う顔を覗かせるのでしょう



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・・・・・説明もいらないでしょう。

天童温泉街は怪しい場所でした。

人によっては嫌悪感を抱く方もいらっしゃいますが

僕は裏も表も光の当たらない場所もあるがままに

紹介する事が必要だと思ってますので今回

ご紹介させて頂きました。

水車生そば 天童市 KABUOのCubで食べ歩き

どーもKABUOです

全国的にも知名度が高く、観光客も訪れる

天童市で鳥中華の有名な水車生そば屋さんを

訪れました。

昔からありましたので名前は知ってましたが

入店するのは初めてなんですよね



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味付けですが鳥中華って結構甘口のスープが

多いのですがこちらはあまり甘くないスープで

胡椒がよく効いた味付けになっており

珍しく天かすも入っておりスープの濃くを

プラスしておりあっさりしながらも

濃くのある美味しいスープでした。



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観光で来られる方がひっきりなしなしに来店して

おり、お店の繁盛ぶりを伺わせます

ご当地名産品をご紹介 天童市 将棋駒

KABUOです

天童市のご当地名産品の将棋駒の

歴史について言及させて頂きます


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天童駅



では出発します。

天童駅を出て直ぐに名産品の将棋を使ったポストを

発見しました。

日本の将棋駒の大部分をこちらの天童市が製作を

行っておりその歴史は前回、天童織田藩編で

ご紹介した吉田大八と関係があります

http://yamagata.hatenadiary.com/entry/2017/09/13/230253

リンク先



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吉田大八



天童では、藩の財政難対策に取り組んだ。当時、天童藩の財政は困難を極め、下級の藩士ほど生活は苦しく、貧窮にあえいでいた。大八はその救済策の一つとして、藩士が将棋駒を製作することを取り入れた。武士が手内職を営むことについては反対もあったが、「将棋は兵法戦術 に通じ、武士の面目を傷つけるものではない」とし、将棋駒作りを広く奨励した。天童が将棋駒の産地になった由来といわれている。

(天童市観光イベント ホームページ引用)



当時、高畠から天童陣屋への移転の経費や

飢饉による税収減、紅花の専売を実地したものの、

どれも天童藩の財政の改善に至らなかったのが

将棋作りに励んだ背景にあります。

それに様々な飛び地が入り乱れ各藩の支配も

ありましたので領土が比較的に少なかったのと

(天童藩の石高は2万石程度だと言われています)

東北の冬の寒さや自然環境も関係してると

考えられます。



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天童駅二階、お土産コーナー



駒づくりが本格的な産業となったのは明治期に入ってから。旧藩士木地師と書き師に分かれて分業生産を始めたことで、天童は大阪などと並ぶ大量生産地となっていきました。さらに大正期に入ると、いち早く駒木地の機械化を開発。駒の書き手は、大人だけでなく子どもたちも担うなど、天童は町をあげての分業体制に入りました。「押し(スタンプ)駒」も導入した昭和初期には、大阪を退けて、全国一に成長します。

山形県観光サイト引用



小藩であるが為の財政難から吉田大八や天童藩士

によって将棋駒作成の土台の基礎が作りあげられ

天童市の産業として発達した歴史があります

天童駅のお土産さんを覗いて見ると、工芸品や

将棋駒を用いたオリジナルのお菓子等が

豊富に品揃えされています。



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天童の将棋駒は、160年に及ぶその歴史の中で、生産規模をただ拡大させただけでなく、地域全体の発展そのものとなってきました。現在、市では「子ども将棋大会」や「全国中学生選抜将棋選手権大会」などを毎年開催し、将棋文化を次世代に普及させています。また、桜まつりの時期に舞鶴山で開催する「人間将棋」では、「将棋駒のまち天童」を県内外に広く発信。毎年、多くの観光客が天童を訪れ、その歴史文化に触れています。

山形県観光サイト 引用



天童駅東口を出て直ぐに将棋交流室があり

中を見学させて頂いた際は学生位の友人同士が

将棋盤に向き合い30秒将棋の対戦を行っていたり

リタイアされたであろうおじ様方の遊びの場に

なっています

入場料も無料ですので腕に覚えのあるかたは

訪問するのをオススメします。

天童市将棋資料館では将棋の歴史や世界の将棋

についての展示がされてあり、将棋交流教室と共に

天童駅東口前出て直ぐにありますので一緒に

寄っていって下さい

今回行った時は両方とも閉館日でして残念でした



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栄春堂



天童市内を散策しておりましたら将棋の工房に

たどり着いたので中を見学させて頂きました



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店内はこんな感じをしており将棋駒の販売を行って

います、さらに奥の方は撮影出来ませんが将棋の

資料館になっており見学することも可能です。



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撮影した時間帯はちょうどお昼の時間帯でしたので

将棋駒を作成される職人さんはお昼休みで不在

でしたが、ここで熟練した職人のお仕事を

見学する事が出来ます。

年期の入った工具がカッコいいです



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3月のライオンのタイアップのポスターを

街中でよく拝見しました。

漫画効果で天童市がさらに活性化すれば

喜ばしい限りです



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街中を歩けば将棋の駒のオブジェが立ち並び

旅人を歓迎してるかのようです

天童市は観光に特に力を入れているのが

よくわかります。



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春先には天童桜祭りが開催されその際に

人間を将棋の駒に見立てた人間将棋が開催されます



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舞鶴山山頂 天童市桜祭り 人間将棋



天童の春を彩る「人間将棋」は、昭和31年から行われている一大イベントです。約2,000本の桜が咲き乱れる舞鶴山を舞台に、甲冑や着物姿に身を包んだ武者や腰元たちが、将棋の駒となり対局を行います。

天童市 観光サイト 引用



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対局はプロの棋士をお呼びし、盤上の説明も

しっかりと行う本格的な対局となっており

見ごたえも十分にあります

写真は2,3年前になりますがこの日も沢山の

観光で賑わいでした



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将棋の駒役の方もしっかりと衣装を着替えて盤上に

立ちます。



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春先は舞鶴山にも綺麗な桜が咲きまだ肌寒い季節

ですが人間将棋を盛り上げてくれます。

麺屋 居間人 天童市 KABUOのCubで食べ歩き

どーもKABUOです。

旅行が好きでよく出歩きちょくちょくその地方の

オススメグルメを堪能しております。

今までは街道と一緒に紹介しておりましたが

街道沿い無い美味しい店も紹介したくなりまして

今回からKABUOのオススメする飯屋を街道とは

別に今回からブログで紹介して行きたい

と思っております。

出汁とか繊細な味付けとかアン○ャッシュの

Wのようなコメントは期待しないでください(笑)



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麺屋 居間人

〒994-0061 山形県天童市東芳賀2丁目8−36

https://ichigonohana.com

公式ホームページ



今回訪れた店は麺屋 居間人さんにお邪魔しました

前、違う場所でやっておりましたがこちらに

移転となってからの初訪問になります

天童市は美味しいラーメン屋さんが多く激戦区の

イメージが強い印象になります



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ラーメンを注文した時って大盛りと中盛りが

あると思いますが、多く盛るとラーメンとスープの

バランスが崩れて微妙な感じがするので

ラーメンを注文した時、お金があるときは

普通盛りのチャーシュー麺を頂くのがKABUOの

こだわりです



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ごっつぉラーメン 930円



一番ボリュームがあって豪華なラーメンをチョイス

しました。スープは少し甘めの味噌味のスープ

濃くもあり、食べ進めながら

ニンニクのチップと辛味噌

味変しても美味しいスープです

それに麺もこのスープにあって美味しいです

平日の昼間はライスも無料で注文でき

かなり満足しました。

羽州街道を行く(天童織田藩歴史巡り)

お久しぶりですのKABUOです

最近は仕事忙しくて、更新もままなりませんが

久しぶりにブログを更新させていただきます。

今回は天童市の歴史に触れ、天童を治め織田信長

子孫が治めた天童織田藩の歴史や

天童を舞台にして起こった戊辰戦争の歴史を紹介出

来たらと思います。




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喜太郎稲荷神社前、天童織田藩陣屋跡



最上義光が天童一帯を治めたのが1584年に当時

天童を治めていた天童頼澄を責め滅ぼした後でした

その後、最上家が改役にあい、目まぐるしく

藩主が入れ替わる事となります。

その後、天童市内一帯を治めたのが

高畠藩(山形県高畠町)を治めていた

織田信美が1830年に天童に移転となり

最初の藩主になります。

こちらの喜太郎稲荷神社前が天童織田藩の陣屋跡

になります。

今は天童駅まで続く線路が横切っていますが

当時は線路奥まで陣屋の立地が広がっておりました



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天童陣屋大手門跡



天童市の情報では

天童織田藩は、織田信長次男信雄を祖先にもつ藩であります。
 織田信長天正十年(1582年)家臣の明智光秀に襲われ本能寺で自害し、次男信雄が跡を継ぐことになりました。その後、織田家は小幡藩(群馬県甘楽町)や高畠藩(山形県高畠町)を治め、天保二年(1831年)に、藩主の信美が天童に入り、天童織田藩が成立しました。
 天童織田藩の石高は、およそ2万3千石で、領地は村山地方(村山郡)21カ村でありました。現在の天童市の中では、天童、大清水、窪野目、長岡、芳賀、寺津、小関、荒谷にありました。
 その当時、現在の天童市には天童織田藩領のほか土浦藩北目分領、館林藩領、幕府領、棚倉藩領の村々が混在しました。
 天童と織田藩のかかわりは、高畠に国替えになり天童がその支配下に入ってから、幕末に織田藩が消滅するまでの、およそ100年間になります。
その中でも、天童館(現天童市田鶴町)を中心に家臣たちを住まわせ、直接、織田藩が天童を治めていたのは、織田信美以降、わずか約40年間でありました。

(天童市政情報 天童織田藩あらましより引用)

と説明されております。



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大手門の場所が分かりにくかったのですが

たちばなや薬局さんから少し小道に入る所があり

民家の中に大手門跡と書かれた柱が立っております



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三寳寺


天童織田家の菩提寺となります



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御霊屋 仰徳殿こうとくでんの正面には、織田信長肖像画の写真が飾られています。肖像画は、宣教師が描き、信長に最も似ているといわれているものです。それを明治の中頃、天童織田藩出身の宮中写真師が複写し、宮内庁、織田家にも納められましたが、現存するのは三寳寺だけになっています。仰徳殿には、信長をはじめ、歴代藩主の位牌も安置されています。

山形県ホームページ引用



御霊屋の中には宣教師が書いた織田信長肖像画

が飾ってあり、ちょうど行った際にお寺の関係者の

方がいらっしゃり、中を見学する事が出来ました



【信長の軍師 天の巻】典座こそ不立文字の極意なり。 信長を育てたのはこの男だ・・・! あなたが現代の信長を育てる。その育て方は?日本人が最も好きな武将 織田信長は勝手に信長になったのではない。そこには偉大な師匠、参謀、軍師がいた。その人物をご存知ですか?大天才が育つには、大秀才が必要なのです。



この本の表紙が織田信長肖像画になります

こちらが飾っておりました



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天童市立旧東村山郡役所資料館

http://www.city.tendo.yamagata.jp/tourism/kanko/gunnyakusyo.html

公式ホームページ


こちらは東村山郡の役所として使われた後、

現在では天童織田藩、東北戊辰戦争の歴史や

天童市の歴史の資料館として活用されております



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明治天皇が東北巡幸の際は休息された場所でも

あります。



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館内では詳しく天童織田藩の歴史や天童市

舞台にした戊辰戦争の歴史的資料が展示されており

幕末や歴史に興味があるかたには凄くオススメです



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吉田大八 舞鶴山にて



しかし天童織田藩は幕末、東北戊辰戦争の強い

時代の渦に飲み込まれてしまいます。



慶応4年(1868年)、朝廷は鳥羽・伏見の戦いの首謀格とされた会津藩の追討を仙台藩など東北諸藩に命じ、奥羽鎮撫総督九条道孝・副総督澤為量らを東下させた。これに先立ち、天童藩は織田宗家という家格を評価されて鎮撫使の先導を任じられた。しかし、藩主信学は病弱、世子の富久之助(信敏)は若年であったため、同年3月24日、名代として吉田守隆が先導役に任命された。

ウィキペディア引用



吉田守隆が写真の吉田大八ににります

当時は新政府軍が庄内藩会津藩を潰そうと企て、

案内人として天童織田藩が任命されてしまう事に

なりました。



先導役となった守隆は、薩摩藩長州藩仙台藩らの連合軍を率いて庄内藩と交戦。この結果、陣屋は庄内藩兵の攻撃を受けて炎上した。

ウィキペディア引用



天童藩と新政府軍は庄内藩最上川を挟み交戦する

事になりますが、庄内藩の圧勝に終わり

天童陣屋及び、天童市街が炎上してしまいます

この時、吉田大八は老野森の民家に身を潜めました



一方、鎮撫軍内部では、戦闘を避けて穏便に和解を図ろうとする東北諸藩と、会津藩を討伐しようとする鎮撫総督との間で亀裂が生じていた。この亀裂は、会津藩や東北諸藩に対し厳しい態度をとった鎮撫軍参謀世良修蔵の暗殺、奥羽越列藩同盟の結成につながった結果、奥州は反鎮撫軍一色となった。天童藩も先導役を辞退し、列藩同盟に加盟せざるを得なかった。

守隆は責任を取り、漆山村(現山形市漆山)に蟄居した。親交のあった桂太郎が蟄居中の守隆に逃亡を勧めたが、守隆は「藩主に迷惑がかかる」と断ったと伝わる。

その後、列藩同盟からの圧力に対し、天童藩は守隆に死を賜ることにした。守隆は6月18日、天童妙法寺の観月庵で絶命辞を残し切腹した。

ウィキペディア引用



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天童妙法寺の観月庵



鎮撫軍参謀 世良修蔵の暗殺が決めてとなり

東北の一部の藩は奥羽越列藩同盟に組み入り

東北戊辰戦争へと火蓋が切られる訳ですが

本当は他藩は穏便に済ませたかったのにズルズルと

引き込まれる形となります

そんな訳で新政府軍を引き込んだ吉田大八を

スケープゴートのような形で責任を取らされる

事になります。



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佛向寺 吉田大八の墓所




激しい動乱の時代に翻弄され

庄内藩と東北の他藩、新政府軍との板挟みに

挟まれた吉田大八の苦悩を感じられずには

いられないです。

山形の戊辰戦争の歴史を見ると

小藩が大藩や新政府軍を相手に右往左往しながら

ズルズルとやりたくも無い戦争に引き込まれて

いくのが多いですよね。




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建勲神社

http://sp.bussan-tendo.gr.jp/?p=detail&d=1354

公式ホームページ



明治維新の際、天童織田藩は、官軍(新政府軍)に味方したこと、藩祖信長の功績を讃え、明治政府より信長に建勲神たけしいさおのかみの神号を賜り、建勲神社たけいさおじんじゃとして、明治3(1870)年に日本で最初に舞鶴山に祀られました。

公式ホームページ引用



天童織田藩は戊辰戦争の時に新政府軍に味方した

事により建造された社殿で、5月頃にはつつじも

咲き、つつじ祭りが開催されていました

お盆休み

最近仕事が忙しくてブログを書けないKABUOです

ただ写真は撮っておりますので時間を作って

ブログを更新していきます



今回のお盆休みはインドネシアに行こうかと思って

おります。

海外旅行でしか味わえないスリルとアドベンチャー

を探して来ます

旅が終わったらまたブログを更新しますのでまた

よろしくお願いします

羽州街道を行く(長岡~田鶴町編)

どーもKABUOです。

道草をしてしまいましたが羽州街道に戻りたいと

思います、今回は高擶駅から天童市中心部を進み、

天童市の歴史を巡ります



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高擶駅



では出発しましょう。

高擶駅を出て県道22号線を通り

長岡地区から芳賀地区に向かいます。



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日枝神社



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謎のお墓



日枝神社の前にやってまいりました

と?・・・・・・・

神社の裏手の道をトコトコと進むと

沢山の木々に囲まれたお墓があります。

特に説明書きは無いのですが史跡何でしょうか?



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羽州街道に戻ります。

古い建物もありますが・・・・・・



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天童駅と開発の進む町並み



近頃はイオンモール天童と駅も近くに出来、

新興住宅も増えて活気に溢れる町並みに変わりまし

た。ちなみにイオンモール天童を略して

地元住民は「いもてん!」と呼びます

最初いもてんのですが名前を聞いた時は

芋の天ぷらの話をしてると思って聞いていました、

多分村山あるあるだと思います。

しかも将棋仕様の外装で地元密着の感じ

いいです。



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百人塚 戦士供養の牌



道の途中にこんな牌がありましたが

1753年の十二月の戦いと表記だけされてますが

詳しい説明書きもなく何の供養の牌なのか

よく分からない史跡です。



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イオンモール天童を抜けると天童市の中心部に

到着します。



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市神様も祀られているみたいです。

ここら辺で昔は市場を開いていたのでしょう



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出羽桜酒造



山形県を代表する酒造になります

撮影日の時は外装の工事をしており

あまり良い写真が撮れませんでした



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たまや錦さんのマナサンラーメン




天童市はラーメン屋さんの激戦区!!

新規のラーメン屋さんが次々とOPENしております

今回ランチでお邪魔しましたのはたまや錦さん

定番の中華そばと悩みましたが今回は

煮干しラーメンのマナサンラーメンを頂きました。

色々とメニューも豊富にあったのでまた

行きたいお店です、ご馳走さまでした



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羽州街道に戻ります

最近車道が広くなり通行がとても便利に

なりましたが、古い建物も残り新しいお店も増え

あんまり観光サイトや旅行雑誌で

紹介されていませんが

散策するにはオススメのスポットです



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薬師神社と北目陣屋跡



土浦藩土屋氏の領地として

天童市の北目地区と老野森地区の飛地を

管理する北目陣屋が置かれておりました。



続く