KABUOカブで激走。山形、東北街道巡りの旅(たまには海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります。目標は東北市町村全制覇

お盆休み

最近仕事が忙しくてブログを書けないKABUOです

ただ写真は撮っておりますので時間を作って

ブログを更新していきます



今回のお盆休みはインドネシアに行こうかと思って

おります。

海外旅行でしか味わえないスリルとアドベンチャー

を探して来ます

旅が終わったらまたブログを更新しますのでまた

よろしくお願いします

羽州街道を行く(長岡~田鶴町編)

どーもKABUOです。

道草をしてしまいましたが羽州街道に戻りたいと

思います、今回は高擶駅から天童市中心部を進み、

天童市の歴史を巡ります



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高擶駅



では出発しましょう。

高擶駅を出て県道22号線を通り

長岡地区から芳賀地区に向かいます。



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日枝神社



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謎のお墓



日枝神社の前にやってまいりました

と?・・・・・・・

神社の裏手の道をトコトコと進むと

沢山の木々に囲まれたお墓があります。

特に説明書きは無いのですが史跡何でしょうか?



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羽州街道に戻ります。

古い建物もありますが・・・・・・



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天童駅と開発の進む町並み



近頃はイオンモール天童と駅も近くに出来、

新興住宅も増えて活気に溢れる町並みに変わりまし

た。ちなみにイオンモール天童を略して

地元住民は「いもてん!」と呼びます

最初いもてんのですが名前を聞いた時は

芋の天ぷらの話をしてると思って聞いていました、

多分村山あるあるだと思います。

しかも将棋仕様の外装で地元密着の感じ

いいです。



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百人塚 戦士供養の牌



道の途中にこんな牌がありましたが

1753年の十二月の戦いと表記だけされてますが

詳しい説明書きもなく何の供養の牌なのか

よく分からない史跡です。



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イオンモール天童を抜けると天童市の中心部に

到着します。



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市神様も祀られているみたいです。

ここら辺で昔は市場を開いていたのでしょう



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出羽桜酒造



山形県を代表する酒造になります

撮影日の時は外装の工事をしており

あまり良い写真が撮れませんでした



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たまや錦さんのマナサンラーメン




天童市はラーメン屋さんの激戦区!!

新規のラーメン屋さんが次々とOPENしております

今回ランチでお邪魔しましたのはたまや錦さん

定番の中華そばと悩みましたが今回は

煮干しラーメンのマナサンラーメンを頂きました。

色々とメニューも豊富にあったのでまた

行きたいお店です、ご馳走さまでした



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羽州街道に戻ります

最近車道が広くなり通行がとても便利に

なりましたが、古い建物も残り新しいお店も増え

あんまり観光サイトや旅行雑誌で

紹介されていませんが

散策するにはオススメのスポットです



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薬師神社と北目陣屋跡



土浦藩土屋氏の領地として

天童市の北目地区と老野森地区の飛地を

管理する北目陣屋が置かれておりました。



続く

天童市 寺津、高擶街道を行く

どーも、KABUOです。

やっと将棋の生産で有名な天童市に到着しました

今回は羽州街道から道にそれ、最上舟運で栄えた

寺津地区と高擶城跡と城下町雰囲気が残る

高擶地区を紹介します。



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天童市に到着しました。

天童市の看板の脇には生産数日本一を誇る、

将棋のカントリーサインがあります。



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古い地図で確認すると清池地区と長岡地区から

高擶地区に街道が続いております

今回は清池地区から高擶地区を目指し

帰りに長岡地区を通りたいと思います。



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清池八幡神社と御手洗池跡



天童市清池地区

清池の名前の由来は古くから湧水池が豊富に湧き

清池八幡神社内の御手洗池があり

清池の地名の発祥とされています。

清池八幡神社源義家の家臣、鎌倉景正が創建

されたと言われ、後三年の役の際に

目を射られた景正が矢を抜いて

洗ったとされるのも御手洗池とされています。

東北の八幡神社は義家と関連深い場所が多いです。



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清池八幡神社から県道24号線に沿って高擶地区を

目指します。



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高擶地区に入り古い地図を頼りに町を散策しますと

湯殿山庚申塔の石碑が見えて来ました

古い街道を歩いてる実感がわいてきます



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高擶地区の地図になります

高擶城を中心に町作りが行われた平城になります

Googleマップの航空写真を確認するとより

高擶城下町の作りがわかると思いますので

是非御覧になって下さい



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高擶城跡



高擶地区にある高擶城跡になります

高擶城跡は斯波最上氏二代直家の四男、

最上義直によって築かれました

その後、義直は高擶氏の名を語る事になります

もともと高擶氏と天童を治めた天童氏も

最上家とはもともと親戚同士の関係になります

高擶城は天童城の支城として整備され

一時期、最上義守と険悪になった

最上義光もこの高擶城に預けれた事も

あったそうです。



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高擶城下町を歩いて行きます

ほとんど住宅地になってしまいましたが

古い建物も多く存在してほんのり城下町の

風情を感じる町並みをしています



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町を歩けば案内書きの看板もあり町の歴史を

学ぶには最高です。



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天童ワイン

http://www.tendowine.co.jp

(公式ホームページ)



通りに天童ワインさんに到着しました

ワインの試飲とワイナリーの見学も出来、

ツアー等も開催されております



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安楽寺



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石佛寺の石仏



神社仏閣も高擶地区は多いですね。



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高擶地区は町並みも家も良く整理されています

天童市は町並みもそうですが歴史史跡の

保存をよく行っている印象を受け史跡巡りには

高擶地区以外も凄く楽しめます。

僕の地元、山形市はまだまだそういった所が

足りないかなと思います



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秋元藩館林陣屋跡



羽州街道を行く漆山編でも紹介した上州館林藩

飛地の領土になります

高擶地区は1622年最上家改易後に高擶城は破棄

される事になります。

その後,秋元家時代に上州館林に転封後に

この地を納める為に,高擶陣屋を置いたとされます

1849年廃止後に郷学校として利用されました。



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豚児



お昼は近くのラーメン屋,豚児さんで

中華そばと豚丼ハーフを頂きました。

煮干し出汁の効いたスープを飲み、豚丼を食らう

至福の瞬間。

かなりボリュームがあって食べごたえ満点

また民家を改良した店内は何かばあちゃんの

家に遊びに行った時の懐かしさが溢れる

懐かしさと居心地が良い店内でした。

高擶に訪れたら是非行って欲しいお店です。



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お昼ご飯も食べ終わり次は寺津地区に入ります

寺津地区は最上川の船運の重要な港として活用され

商人集荷のうち45%が寺津河岸のもので大石田

つぐ繁栄ぶりだったそうです



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寺津船着場跡と水郷寺津資料館



最盛期には旅籠屋や銭湯、料理屋が軒を並べる

農村地帯でありながら宿場町や港町の姿を

持っていたそうですが徐々に衰退してしまい

埋め立てもあり現在はわずかに河岸跡が

わかる程度になってしまいました

水郷寺津資料館では寺津の船運の歴史が学べる

はずでしたが・・・・・

日曜日なのに開いていない!?

いや~扉が固く閉ざしておりました

やってるのかやってないのかよく分からない

施設でしたね。

・・・・・・・・アバカム!!!!!

KABUOをは呪文を唱えた

はいはい次に進みますよーだ。



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寺津日枝神社と法体寺


この地は寒河江の大江氏や最上川の水運を抑える

重要拠点として活用されていた模様で

日枝神社の辺りに寺津城があったとされます。

近くの法体寺は寺津城主である藤原秀敏の

菩提寺となります

その後、寺津城は最上義光との戦で

天童氏共に滅ぼされてしまいました。



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天童最上川温泉ゆぴあ

http://yupia.com/yupia/

(公式ホームページ)



帰りに近くの最上川温泉ゆぴあに入浴

露天風呂が広くとても居心地がよかったです



続く

羽州街道を行く(七浦~漆山地区編)

どーもKABUOです。

最近は少し更新が遅れてますが

旅行の記録だけはしっかりと残しています

では今回も羽州街道に沿って北上しながら

七浦 ~漆山地区を紹介します

Wikipediaによると1889年に町村制施行により

七浦村 千手堂村 漆山村が合併して

羽村が発足し1954年に山形市に編入されたと

記載されています。

まずは七浦地区から行ってみます



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前回の長町地区から緑橋を渡って七浦地区に到着

近くの最寄り駅は県立病院前の南出羽駅です



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道中には七浦小学校跡地の柱が立っておりました



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八右ェ門

http://www8.plala.or.jp/hatiemon/

(公式ホームページ)



羽州街道沿いには和菓子屋さんが良く似合います



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冨塚理美容室



こちらの冨塚理美容室を左に曲がると

千手堂地区で最上三十三観音吉祥院

繋がる道になります。



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吉祥院までは古い民家とお地蔵様が並んでおります



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吉祥院



最上三十三観音の第3番礼所の吉祥院さん

本尊は千手観音で千手堂地区の

地名の由来だ思われます。

西暦737年に僧行基により創建され

歴代山形城主による手厚い保護があったそうです



この前知り合いから面白い話を聞いたのですが

吉祥院の和尚さんはお祓いの世界ではピカイチで

山形出身で秘密の県民showや愛人にしたい

女性芸能人ナンバーワンに選ばれた

橋本マナミさんがまだ売れない時期に

和尚さんからお祓いをしてもらってから

みるみるうちに売れっ子タレントになったと言う

嘘か誠か分からない話を聞かされました。

もし和尚さんに会う機会があれば聞いて見るのも

面白いかもしれません

和尚さん恐るべし!!



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稲荷神社



羽州街道沿いに戻ります

稲荷神社近くに志村町内会集会所があります

志村と言う地名は最上義光の家臣

志村光安がここの土地を納めていたことから

地名の由来になります

志村光安は東北の関ヶ原、長谷堂合戦で活躍し

その後、酒田城主を任され庄内の基礎発展を

尽くした優れた武将です



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出羽郵便局



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出羽小学校



出羽と言う地名は山形市の編入の際に

地名は消えてしまいましたが名残が残ってます



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漆山駅と駅周辺の風景



駅前を通りましたがあまり商店が無く寂しいです

春先に撮影を行ったのでまだ駅前に桜が咲いており

いい写真が撮影出来ました。



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浄土院と山形藩主、秋元家と館林官軍墓所



秋元家は田沼 意次との確執により

秋元 凉朝が山形藩に1767年転封され1845年までの

78年間、山形藩を統治しておりました。

山形藩は最上家が没落した後に、目まぐるしい

殿様の入れ替わり、秋元家は山形藩の歴史の中でも

在任期間が長い殿様でした。

その秋元家の墓所こちらの浄土院さんになります

その後、秋元家は上野館林藩に移封となります。

その時、豊穣な土地であった漆山と天童市高擶地区

に陣屋を置き領地として管轄を行います。



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漆山陣屋跡



浄土院さんから少し歩くと漆山陣屋跡に到着します

立て看板もないので少し道に迷ってしまいました。

この漆山に陣屋を置いてしまったのが戊辰戦争

際、悲劇に見舞われる事になります



吹きだまり陣屋 (広済堂文庫)

吹きだまり陣屋 (広済堂文庫)

吹きだまり陣屋

作家 高橋義夫

鳥羽伏見の戦いで徳川幕府は倒れ、薩長土肥による明治維新がなった。西郷隆盛江戸城無血開城し、それにつづく彰義隊の潰滅と、新政府は着々と体制を築いていった。だが、奥羽地方では、賊軍とされた会津、庄内両藩を中心に奥羽越列藩同盟が成立して新政府に抗戦した。館林藩は官軍の一翼にあったが、羽州分領の漆山陣屋が列藩同盟に組み込まれ藩が敵味方に分かれる悲劇となった。そこへ江戸藩邸から謹慎を命じられ、勝沼精之允がやってきた。維新の荒波に忘れさられた男のあざやかな生き様を彫りおこす。直木賞作家の力作長編歴史小説

(AmazonよりBOOK説明。)

市立図書館で借りて読んだのですが漆山に

訪れる前に読んでもらいたい一冊になります

福島県会津新潟県長岡とも違った戊辰戦争

歴史が見れると思います

天童市戊辰戦争の歴史はまた一味違った

魅力もあり別の機会に説明しますが

共通点は幕末の動乱の中

山形藩や天童藩、漆山陣屋の

小藩の人々が官軍と、それと戦う庄内藩 仙台藩

板挟みに合い右往左往しながら時代の

荒波に揉まれる人間ドラマが魅力的です

浄土院では戊辰戦争の最中、亡くなった漆山陣屋の

方のお墓もありますのでご住職にお話を

聞いてみてもいいと思います。



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寿々喜そば屋さんと名物鳥中華



お腹が過ぎました。

本日は街道沿いにあった寿々喜そば屋さんに

やってまいりました

少し甘めのスープに鳥肉が入って

鳥の出汁が良く出ており非常に美味しかったです。



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稲荷神社と明治天皇の石碑



明治天皇が東北を巡る訪問の際に

村山地区でトップクラスの大地主であった

半沢久次郎家に小休止した石碑が立っております。

半沢久次郎家の跡地に今の稲荷神社があります。



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立谷川を渡りますと天童市に入ります

続く

羽州街道を行く(銅町、千歳、長町編)

どーもKABUOです。

山形城下町編も終わり羽州街道を北上して

天童市方面を目指します。



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前回よりまず最初に銅町に到着します

銅町梅雨山形鋳物の製造で有名な町です



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道沿いに歩けば鋳物の製造販売を行う

お店が並んでおります。

銅町は前九年の役の際に源頼義に従軍した鋳物師が

馬見ヶ崎川に流れる良質な土質を見つけ

この地に止まった事が始まりとされています

そして最上義光時代に町作りの基礎を作られたと

言われています



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ここから馬見ヶ崎川を渡ります

銅町から馬見ヶ崎橋を渡り信号を左に曲がります。

今は千歳橋を渡り直進すると

落合スポーツセンターや山形県立病院に

到着しますが、信号を左に曲がるのが

羽州街道の旧道で山形市千歳地区になります。




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渡辺だんご屋さん



Googleマップで評判だったのでお団子を頂きました

山形では、ずんだ団子をぬた団子と呼びます

ぬた団子はかなり甘く、団子もモチモチと

評判通りの美味しさでした。



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古峯神社と水天宮



馬見ヶ崎川の畔でもある千歳地区は洪水も

度々と起こっており、水天宮を祀って

祈願を行いました。



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刈田神社



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旧道をガンガン進んで行きます。



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千歳地区はここまでです。

この十字路を渡れば次は山形市長町地区に

到着します。

写真を撮り忘れましたが(長~い町長町)の

看板が見えます。



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高橋時計店



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袮念寺



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(有)日の出自動車



県道22号線の下道をとことこ進んで行きます

古い農家の民家やちょっとした個人商店が

続いており道沿いにはお寺もあり街道の雰囲気が

残っております。



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羽前千歳駅



何かの雑誌かネットで読んだのですが、

中々こういった形状の駅って無いよね

みたいな記事がありまして



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先に進んで参ります。



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熊野神社



熊野神社

最上義光の家臣、落合伯耄守の館跡になり

山形城の北の守りの役割を持っていたそうです。



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近くには山形県立病院が見える

緑橋を渡り山形市七浦地区に向かいます



続く

羽州街道を行く(山形城下町編⑧)

山形城下町編も8回目となりました。

今回は相生町から宮町と進み

山形城下町編最後になります

でははりきってすすんで行きましょう‼。



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前回のこちらから県道22号線に沿って

左に曲がります。



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交差点を曲がって相生町、旧鍛冶町の柱を発見。

最上義光の城下町以来の鎌 鍬 等を製造する

職人町との説明がされています。

通り沿いを進むと金物屋さんがあり

町名の由来の面影が残っております。

最上義光時代にはまだ文翔館周辺は

馬見ヶ崎川から河川が流れており

火を取り扱う為、火災防止の観点でこちらに

鍛冶町を設置したと思われます。

その後、鳥居家、保科家時代に河川は

埋め立てられたと言われています。



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浄光寺



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菅原神社


その為、相生町の相生には(川が合流する)と

言った地名説があるそうです



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宮町にある山形市立第三小学校になります

周辺には旧四日町と旧伊賀町の柱があり、

四日町の由来は四日の日に市が立ち、

伊賀町の由来は諜報活動を行った、伊賀衆が

移住していたのが名前の由来になります。



・・・伊賀衆ってこの山形にいたの?

何かイメージわかないな~~。

というか忍者とか東北にいたのか?

謎が深まりますね?

今度、資料で調べてみましょう



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冨田歯科医院さんの十字路を今度は右に曲がり

県道22号線に沿って北に向かいます。



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ここら辺は宮町と言う地名で由来は

鳥海月山両所宮に由来すると言われております。



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北山形駅と駅前の小便小僧


やっと北山形駅まで到着しました。

基本的にKABUOはカブで現地に向かい、

後は徒歩で散策するので歩き疲れます。

北山形駅には季節事に着せ替えを行う

小便小僧がちょっとした有名スポットになってます

裏には「誘惑に負けない勇気、強い意志」と

書かれた看板が立っております

・・・・・誘惑に負けて、立ち小便してるっすよ。



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北山形周辺はこんな感じでした。

登下校の城北生がチラホラと歩いておりました。



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北山形駅近くのスーパー、ヤマザワ近くにこんな

柱が立っておりました

ハッピーミシンと言われてもピンときませんね

ある年代の方々はピンと来るのでしょうか?



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円応寺



宮町の観音堂公園まで少し歩き

円応寺さんに到着しました。

観光協会では

正平年間(1346~1369)に山形初代藩主斯波兼頼が山形城を築城中、当地に仮住まいをしたと言われる。その時、愛用のかぶとに施された、弘法大師作とされる約7cmの聖観世音菩薩の前飾りを、仮住まいに安置して守護仏としたことが創建の由来とされる。こういったいわれから「仮屋観音」と呼ばれ、人々の信仰を集めてきた。
 それから400年余り後、享保年間に山形の比丘光厳という僧侶が作像した大仏の胎内に本尊を安置した。このため「腹ごもり観音」と呼ばれた。

(山形市観光協会 引用)


と説明されております。

また円応寺さんは、最上三十三観音

4番目の参拝所になります



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では羽州街道を進んで参りましょう。

途中で鳥海月山両所宮の柱が立っており

参道はこちらからになります



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鳥海月山両所宮

http://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/db/cgi-bin/search/search.cgi?panel=detail&d01=883

(公式ホームページ)



宮町の地名の起こりとなった、山形随一の大きさを誇る鳥海・月山両所の神社。源頼義と義家によって康平6年(1063)に創建されたと言われています。古くから「お宮様」と称され、北の総鎮守として尊崇されてきました。
 縁起によると、康平6年(1063)正月、源頼義が阿倍貞任を征伐し、その戦捷のため、この地に両所宮を建立し、国家泰平・武門吉事の宮と称したという。
 明治以前は、別当寺は成就院(560石)で、その輩下に社陣21人(129石)があり、別に天台三ヶ寺として、如法堂(68石)・護摩堂(85石)・内御堂(50石)が、両所宮に奉仕していた。
 境内の金井の泉は、金井の庄の起源とされ、また、金売吉次の金洗いの井戸とも伝えられている。
 本殿は最上義光時代に大修理が加えられたが、寛永年中に焼失し、享保年中に再建されたものという。
 入口の山門は、天明3年(1783)6月の建立になり、高荘な楼門で、現在は随神門と称され、また、境内の城輪神社は、桃山時代の建物である。

(公式ホームページ 引用)



季節は4月頃でまだ桜も咲いており、

綺麗な風景がありました。

昔の地図を見ますとここら辺迄武家屋敷が続いて

おりました。



続く

オススメしたい本(古地図編)

東北の街道―道の文化史いまむかし

東北の街道―道の文化史いまむかし

東北の街道 道の文化史いまむかし

無明舎出版



Amazonで購入しました。

こちらの本は参勤交代でも使われた羽州街道

奥州街道といった大きな道以外にも

笹山街道や二口街道等の東北の少しマニアックな

街道も写真付きで説明されています。

ネットにもルートが書かれていない街道の

地図も掲載されており、この本と県別マップルと

Googleマップを使って街道を探索しており

結構便利です。



場所によっては看板はあっても見逃してしまう

マニアックな史跡もありますので

地図に掲載されているのは本当にありがたいです。



定価は2857円でしたが中古で購入したので

安くてにいれる事が出来ました。

最近はブラタモリで古地図も紹介されてますので

古地図を読んでその土地の深い歴史を学び

歩き進めるのも良いかと思います。