KABUOカブで激走。山形、東北街道巡りの旅(たまには海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります。目標は東北市町村全制覇

KABUOのCubで食べ歩き 天童市 麺屋 居間人

どーもKABUOです。

旅行が好きでよく出歩きちょくちょくその地方の

オススメグルメを堪能しております。

今までは街道と一緒に紹介しておりましたが

街道沿い無い美味しい店も紹介したくなりまして

今回からKABUOのオススメする飯屋を街道とは

別に今回からブログで紹介して行きたい

と思っております。

出汁とか繊細な味付けとかアン○ャッシュの

Wのようなコメントは期待しないでください(笑)



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麺屋 居間人

〒994-0061 山形県天童市東芳賀2丁目8−36

https://ichigonohana.com

公式ホームページ



今回訪れた店は麺屋 居間人さんにお邪魔しました

前、違う場所でやっておりましたがこちらに

移転となってからの初訪問になります

天童市は美味しいラーメン屋さんが多く激戦区の

イメージが強い印象になります



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ラーメンを注文した時って大盛りと中盛りが

あると思いますが、多く盛るとラーメンとスープの

バランスが崩れて微妙な感じがするので

ラーメンを注文した時、お金があるときは

普通盛りのチャーシュー麺を頂くのがKABUOの

こだわりです



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ごっつぉラーメン 930円



一番ボリュームがあって豪華なラーメンをチョイス

しました。スープは少し甘めの味噌味のスープ

濃くもあり、食べ進めながら

ニンニクのチップと辛味噌

味変しても美味しいスープです

それに麺もこのスープにあって美味しいです

平日の昼間はライスも無料で注文でき

かなり満足しました。

羽州街道を行く(天童織田藩歴史巡り)

お久しぶりですのKABUOです

最近は仕事忙しくて、更新もままなりませんが

久しぶりにブログを更新させていただきます。

今回は天童市の歴史に触れ、天童を治め織田信長

子孫が治めた天童織田藩の歴史や

天童を舞台にして起こった戊辰戦争の歴史を紹介出

来たらと思います。




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喜太郎稲荷神社前、天童織田藩陣屋跡



最上義光が天童一帯を治めたのが1584年に当時

天童を治めていた天童頼澄を責め滅ぼした後でした

その後、最上家が改役にあい、目まぐるしく

藩主が入れ替わる事となります。

その後、天童市内一帯を治めたのが

高畠藩(山形県高畠町)を治めていた

織田信美が1830年に天童に移転となり

最初の藩主になります。

こちらの喜太郎稲荷神社前が天童織田藩の陣屋跡

になります。

今は天童駅まで続く線路が横切っていますが

当時は線路奥まで陣屋の立地が広がっておりました



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天童陣屋大手門跡



天童市の情報では

天童織田藩は、織田信長次男信雄を祖先にもつ藩であります。
 織田信長天正十年(1582年)家臣の明智光秀に襲われ本能寺で自害し、次男信雄が跡を継ぐことになりました。その後、織田家は小幡藩(群馬県甘楽町)や高畠藩(山形県高畠町)を治め、天保二年(1831年)に、藩主の信美が天童に入り、天童織田藩が成立しました。
 天童織田藩の石高は、およそ2万3千石で、領地は村山地方(村山郡)21カ村でありました。現在の天童市の中では、天童、大清水、窪野目、長岡、芳賀、寺津、小関、荒谷にありました。
 その当時、現在の天童市には天童織田藩領のほか土浦藩北目分領、館林藩領、幕府領、棚倉藩領の村々が混在しました。
 天童と織田藩のかかわりは、高畠に国替えになり天童がその支配下に入ってから、幕末に織田藩が消滅するまでの、およそ100年間になります。
その中でも、天童館(現天童市田鶴町)を中心に家臣たちを住まわせ、直接、織田藩が天童を治めていたのは、織田信美以降、わずか約40年間でありました。

(天童市政情報 天童織田藩あらましより引用)

と説明されております。



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大手門の場所が分かりにくかったのですが

たちばなや薬局さんから少し小道に入る所があり

民家の中に大手門跡と書かれた柱が立っております



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三寳寺


天童織田家の菩提寺となります



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御霊屋 仰徳殿こうとくでんの正面には、織田信長肖像画の写真が飾られています。肖像画は、宣教師が描き、信長に最も似ているといわれているものです。それを明治の中頃、天童織田藩出身の宮中写真師が複写し、宮内庁、織田家にも納められましたが、現存するのは三寳寺だけになっています。仰徳殿には、信長をはじめ、歴代藩主の位牌も安置されています。

山形県ホームページ引用



御霊屋の中には宣教師が書いた織田信長肖像画

が飾ってあり、ちょうど行った際にお寺の関係者の

方がいらっしゃり、中を見学する事が出来ました



【信長の軍師 天の巻】典座こそ不立文字の極意なり。 信長を育てたのはこの男だ・・・! あなたが現代の信長を育てる。その育て方は?日本人が最も好きな武将 織田信長は勝手に信長になったのではない。そこには偉大な師匠、参謀、軍師がいた。その人物をご存知ですか?大天才が育つには、大秀才が必要なのです。



この本の表紙が織田信長肖像画になります

こちらが飾っておりました



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天童市立旧東村山郡役所資料館

http://www.city.tendo.yamagata.jp/tourism/kanko/gunnyakusyo.html

公式ホームページ


こちらは東村山郡の役所として使われた後、

現在では天童織田藩、東北戊辰戦争の歴史や

天童市の歴史の資料館として活用されております



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明治天皇が東北巡幸の際は休息された場所でも

あります。



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館内では詳しく天童織田藩の歴史や天童市

舞台にした戊辰戦争の歴史的資料が展示されており

幕末や歴史に興味があるかたには凄くオススメです



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吉田大八 舞鶴山にて



しかし天童織田藩は幕末、東北戊辰戦争の強い

時代の渦に飲み込まれてしまいます。



慶応4年(1868年)、朝廷は鳥羽・伏見の戦いの首謀格とされた会津藩の追討を仙台藩など東北諸藩に命じ、奥羽鎮撫総督九条道孝・副総督澤為量らを東下させた。これに先立ち、天童藩は織田宗家という家格を評価されて鎮撫使の先導を任じられた。しかし、藩主信学は病弱、世子の富久之助(信敏)は若年であったため、同年3月24日、名代として吉田守隆が先導役に任命された。

ウィキペディア引用



吉田守隆が写真の吉田大八ににります

当時は新政府軍が庄内藩会津藩を潰そうと企て、

案内人として天童織田藩が任命されてしまう事に

なりました。



先導役となった守隆は、薩摩藩長州藩仙台藩らの連合軍を率いて庄内藩と交戦。この結果、陣屋は庄内藩兵の攻撃を受けて炎上した。

ウィキペディア引用



天童藩と新政府軍は庄内藩最上川を挟み交戦する

事になりますが、庄内藩の圧勝に終わり

天童陣屋及び、天童市街が炎上してしまいます

この時、吉田大八は老野森の民家に身を潜めました



一方、鎮撫軍内部では、戦闘を避けて穏便に和解を図ろうとする東北諸藩と、会津藩を討伐しようとする鎮撫総督との間で亀裂が生じていた。この亀裂は、会津藩や東北諸藩に対し厳しい態度をとった鎮撫軍参謀世良修蔵の暗殺、奥羽越列藩同盟の結成につながった結果、奥州は反鎮撫軍一色となった。天童藩も先導役を辞退し、列藩同盟に加盟せざるを得なかった。

守隆は責任を取り、漆山村(現山形市漆山)に蟄居した。親交のあった桂太郎が蟄居中の守隆に逃亡を勧めたが、守隆は「藩主に迷惑がかかる」と断ったと伝わる。

その後、列藩同盟からの圧力に対し、天童藩は守隆に死を賜ることにした。守隆は6月18日、天童妙法寺の観月庵で絶命辞を残し切腹した。

ウィキペディア引用



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天童妙法寺の観月庵



鎮撫軍参謀 世良修蔵の暗殺が決めてとなり

東北の一部の藩は奥羽越列藩同盟に組み入り

東北戊辰戦争へと火蓋が切られる訳ですが

本当は他藩は穏便に済ませたかったのにズルズルと

引き込まれる形となります

そんな訳で新政府軍を引き込んだ吉田大八を

スケープゴートのような形で責任を取らされる

事になります。



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佛向寺 吉田大八の墓所




激しい動乱の時代に翻弄され

庄内藩と東北の他藩、新政府軍との板挟みに

挟まれた吉田大八の苦悩を感じられずには

いられないです。

山形の戊辰戦争の歴史を見ると

小藩が大藩や新政府軍を相手に右往左往しながら

ズルズルとやりたくも無い戦争に引き込まれて

いくのが多いですよね。




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建勲神社

http://sp.bussan-tendo.gr.jp/?p=detail&d=1354

公式ホームページ



明治維新の際、天童織田藩は、官軍(新政府軍)に味方したこと、藩祖信長の功績を讃え、明治政府より信長に建勲神たけしいさおのかみの神号を賜り、建勲神社たけいさおじんじゃとして、明治3(1870)年に日本で最初に舞鶴山に祀られました。

公式ホームページ引用



天童織田藩は戊辰戦争の時に新政府軍に味方した

事により建造された社殿で、5月頃にはつつじも

咲き、つつじ祭りが開催されていました

お盆休み

最近仕事が忙しくてブログを書けないKABUOです

ただ写真は撮っておりますので時間を作って

ブログを更新していきます



今回のお盆休みはインドネシアに行こうかと思って

おります。

海外旅行でしか味わえないスリルとアドベンチャー

を探して来ます

旅が終わったらまたブログを更新しますのでまた

よろしくお願いします

羽州街道を行く(長岡~田鶴町編)

どーもKABUOです。

道草をしてしまいましたが羽州街道に戻りたいと

思います、今回は高擶駅から天童市中心部を進み、

天童市の歴史を巡ります



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高擶駅



では出発しましょう。

高擶駅を出て県道22号線を通り

長岡地区から芳賀地区に向かいます。



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日枝神社



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謎のお墓



日枝神社の前にやってまいりました

と?・・・・・・・

神社の裏手の道をトコトコと進むと

沢山の木々に囲まれたお墓があります。

特に説明書きは無いのですが史跡何でしょうか?



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羽州街道に戻ります。

古い建物もありますが・・・・・・



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天童駅と開発の進む町並み



近頃はイオンモール天童と駅も近くに出来、

新興住宅も増えて活気に溢れる町並みに変わりまし

た。ちなみにイオンモール天童を略して

地元住民は「いもてん!」と呼びます

最初いもてんのですが名前を聞いた時は

芋の天ぷらの話をしてると思って聞いていました、

多分村山あるあるだと思います。

しかも将棋仕様の外装で地元密着の感じ

いいです。



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百人塚 戦士供養の牌



道の途中にこんな牌がありましたが

1753年の十二月の戦いと表記だけされてますが

詳しい説明書きもなく何の供養の牌なのか

よく分からない史跡です。



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イオンモール天童を抜けると天童市の中心部に

到着します。



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市神様も祀られているみたいです。

ここら辺で昔は市場を開いていたのでしょう



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出羽桜酒造



山形県を代表する酒造になります

撮影日の時は外装の工事をしており

あまり良い写真が撮れませんでした



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たまや錦さんのマナサンラーメン




天童市はラーメン屋さんの激戦区!!

新規のラーメン屋さんが次々とOPENしております

今回ランチでお邪魔しましたのはたまや錦さん

定番の中華そばと悩みましたが今回は

煮干しラーメンのマナサンラーメンを頂きました。

色々とメニューも豊富にあったのでまた

行きたいお店です、ご馳走さまでした



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羽州街道に戻ります

最近車道が広くなり通行がとても便利に

なりましたが、古い建物も残り新しいお店も増え

あんまり観光サイトや旅行雑誌で

紹介されていませんが

散策するにはオススメのスポットです



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薬師神社と北目陣屋跡



土浦藩土屋氏の領地として

天童市の北目地区と老野森地区の飛地を

管理する北目陣屋が置かれておりました。



続く

天童市 寺津、高擶街道を行く

どーも、KABUOです。

やっと将棋の生産で有名な天童市に到着しました

今回は羽州街道から道にそれ、最上舟運で栄えた

寺津地区と高擶城跡と城下町雰囲気が残る

高擶地区を紹介します。



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天童市に到着しました。

天童市の看板の脇には生産数日本一を誇る、

将棋のカントリーサインがあります。



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古い地図で確認すると清池地区と長岡地区から

高擶地区に街道が続いております

今回は清池地区から高擶地区を目指し

帰りに長岡地区を通りたいと思います。



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清池八幡神社と御手洗池跡



天童市清池地区

清池の名前の由来は古くから湧水池が豊富に湧き

清池八幡神社内の御手洗池があり

清池の地名の発祥とされています。

清池八幡神社源義家の家臣、鎌倉景正が創建

されたと言われ、後三年の役の際に

目を射られた景正が矢を抜いて

洗ったとされるのも御手洗池とされています。

東北の八幡神社は義家と関連深い場所が多いです。



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清池八幡神社から県道24号線に沿って高擶地区を

目指します。



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高擶地区に入り古い地図を頼りに町を散策しますと

湯殿山庚申塔の石碑が見えて来ました

古い街道を歩いてる実感がわいてきます



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高擶地区の地図になります

高擶城を中心に町作りが行われた平城になります

Googleマップの航空写真を確認するとより

高擶城下町の作りがわかると思いますので

是非御覧になって下さい



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高擶城跡



高擶地区にある高擶城跡になります

高擶城跡は斯波最上氏二代直家の四男、

最上義直によって築かれました

その後、義直は高擶氏の名を語る事になります

もともと高擶氏と天童を治めた天童氏も

最上家とはもともと親戚同士の関係になります

高擶城は天童城の支城として整備され

一時期、最上義守と険悪になった

最上義光もこの高擶城に預けれた事も

あったそうです。



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高擶城下町を歩いて行きます

ほとんど住宅地になってしまいましたが

古い建物も多く存在してほんのり城下町の

風情を感じる町並みをしています



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町を歩けば案内書きの看板もあり町の歴史を

学ぶには最高です。



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天童ワイン

http://www.tendowine.co.jp

(公式ホームページ)



通りに天童ワインさんに到着しました

ワインの試飲とワイナリーの見学も出来、

ツアー等も開催されております



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安楽寺



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石佛寺の石仏



神社仏閣も高擶地区は多いですね。



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高擶地区は町並みも家も良く整理されています

天童市は町並みもそうですが歴史史跡の

保存をよく行っている印象を受け史跡巡りには

高擶地区以外も凄く楽しめます。

僕の地元、山形市はまだまだそういった所が

足りないかなと思います



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秋元藩館林陣屋跡



羽州街道を行く漆山編でも紹介した上州館林藩

飛地の領土になります

高擶地区は1622年最上家改易後に高擶城は破棄

される事になります。

その後,秋元家時代に上州館林に転封後に

この地を納める為に,高擶陣屋を置いたとされます

1849年廃止後に郷学校として利用されました。



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豚児



お昼は近くのラーメン屋,豚児さんで

中華そばと豚丼ハーフを頂きました。

煮干し出汁の効いたスープを飲み、豚丼を食らう

至福の瞬間。

かなりボリュームがあって食べごたえ満点

また民家を改良した店内は何かばあちゃんの

家に遊びに行った時の懐かしさが溢れる

懐かしさと居心地が良い店内でした。

高擶に訪れたら是非行って欲しいお店です。



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お昼ご飯も食べ終わり次は寺津地区に入ります

寺津地区は最上川の船運の重要な港として活用され

商人集荷のうち45%が寺津河岸のもので大石田

つぐ繁栄ぶりだったそうです



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寺津船着場跡と水郷寺津資料館



最盛期には旅籠屋や銭湯、料理屋が軒を並べる

農村地帯でありながら宿場町や港町の姿を

持っていたそうですが徐々に衰退してしまい

埋め立てもあり現在はわずかに河岸跡が

わかる程度になってしまいました

水郷寺津資料館では寺津の船運の歴史が学べる

はずでしたが・・・・・

日曜日なのに開いていない!?

いや~扉が固く閉ざしておりました

やってるのかやってないのかよく分からない

施設でしたね。

・・・・・・・・アバカム!!!!!

KABUOをは呪文を唱えた

はいはい次に進みますよーだ。



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寺津日枝神社と法体寺


この地は寒河江の大江氏や最上川の水運を抑える

重要拠点として活用されていた模様で

日枝神社の辺りに寺津城があったとされます。

近くの法体寺は寺津城主である藤原秀敏の

菩提寺となります

その後、寺津城は最上義光との戦で

天童氏共に滅ぼされてしまいました。



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天童最上川温泉ゆぴあ

http://yupia.com/yupia/

(公式ホームページ)



帰りに近くの最上川温泉ゆぴあに入浴

露天風呂が広くとても居心地がよかったです



続く

羽州街道を行く(七浦~漆山地区編)

どーもKABUOです。

最近は少し更新が遅れてますが

旅行の記録だけはしっかりと残しています

では今回も羽州街道に沿って北上しながら

七浦 ~漆山地区を紹介します

Wikipediaによると1889年に町村制施行により

七浦村 千手堂村 漆山村が合併して

羽村が発足し1954年に山形市に編入されたと

記載されています。

まずは七浦地区から行ってみます



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前回の長町地区から緑橋を渡って七浦地区に到着

近くの最寄り駅は県立病院前の南出羽駅です



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道中には七浦小学校跡地の柱が立っておりました



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八右ェ門

http://www8.plala.or.jp/hatiemon/

(公式ホームページ)



羽州街道沿いには和菓子屋さんが良く似合います



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冨塚理美容室



こちらの冨塚理美容室を左に曲がると

千手堂地区で最上三十三観音吉祥院

繋がる道になります。



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吉祥院までは古い民家とお地蔵様が並んでおります



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吉祥院



最上三十三観音の第3番礼所の吉祥院さん

本尊は千手観音で千手堂地区の

地名の由来だ思われます。

西暦737年に僧行基により創建され

歴代山形城主による手厚い保護があったそうです



この前知り合いから面白い話を聞いたのですが

吉祥院の和尚さんはお祓いの世界ではピカイチで

山形出身で秘密の県民showや愛人にしたい

女性芸能人ナンバーワンに選ばれた

橋本マナミさんがまだ売れない時期に

和尚さんからお祓いをしてもらってから

みるみるうちに売れっ子タレントになったと言う

嘘か誠か分からない話を聞かされました。

もし和尚さんに会う機会があれば聞いて見るのも

面白いかもしれません

和尚さん恐るべし!!



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稲荷神社



羽州街道沿いに戻ります

稲荷神社近くに志村町内会集会所があります

志村と言う地名は最上義光の家臣

志村光安がここの土地を納めていたことから

地名の由来になります

志村光安は東北の関ヶ原、長谷堂合戦で活躍し

その後、酒田城主を任され庄内の基礎発展を

尽くした優れた武将です



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出羽郵便局



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出羽小学校



出羽と言う地名は山形市の編入の際に

地名は消えてしまいましたが名残が残ってます



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漆山駅と駅周辺の風景



駅前を通りましたがあまり商店が無く寂しいです

春先に撮影を行ったのでまだ駅前に桜が咲いており

いい写真が撮影出来ました。



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浄土院と山形藩主、秋元家と館林官軍墓所



秋元家は田沼 意次との確執により

秋元 凉朝が山形藩に1767年転封され1845年までの

78年間、山形藩を統治しておりました。

山形藩は最上家が没落した後に、目まぐるしい

殿様の入れ替わり、秋元家は山形藩の歴史の中でも

在任期間が長い殿様でした。

その秋元家の墓所こちらの浄土院さんになります

その後、秋元家は上野館林藩に移封となります。

その時、豊穣な土地であった漆山と天童市高擶地区

に陣屋を置き領地として管轄を行います。



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漆山陣屋跡



浄土院さんから少し歩くと漆山陣屋跡に到着します

立て看板もないので少し道に迷ってしまいました。

この漆山に陣屋を置いてしまったのが戊辰戦争

際、悲劇に見舞われる事になります



吹きだまり陣屋 (広済堂文庫)

吹きだまり陣屋 (広済堂文庫)

吹きだまり陣屋

作家 高橋義夫

鳥羽伏見の戦いで徳川幕府は倒れ、薩長土肥による明治維新がなった。西郷隆盛江戸城無血開城し、それにつづく彰義隊の潰滅と、新政府は着々と体制を築いていった。だが、奥羽地方では、賊軍とされた会津、庄内両藩を中心に奥羽越列藩同盟が成立して新政府に抗戦した。館林藩は官軍の一翼にあったが、羽州分領の漆山陣屋が列藩同盟に組み込まれ藩が敵味方に分かれる悲劇となった。そこへ江戸藩邸から謹慎を命じられ、勝沼精之允がやってきた。維新の荒波に忘れさられた男のあざやかな生き様を彫りおこす。直木賞作家の力作長編歴史小説

(AmazonよりBOOK説明。)

市立図書館で借りて読んだのですが漆山に

訪れる前に読んでもらいたい一冊になります

福島県会津新潟県長岡とも違った戊辰戦争

歴史が見れると思います

天童市戊辰戦争の歴史はまた一味違った

魅力もあり別の機会に説明しますが

共通点は幕末の動乱の中

山形藩や天童藩、漆山陣屋の

小藩の人々が官軍と、それと戦う庄内藩 仙台藩

板挟みに合い右往左往しながら時代の

荒波に揉まれる人間ドラマが魅力的です

浄土院では戊辰戦争の最中、亡くなった漆山陣屋の

方のお墓もありますのでご住職にお話を

聞いてみてもいいと思います。



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寿々喜そば屋さんと名物鳥中華



お腹が過ぎました。

本日は街道沿いにあった寿々喜そば屋さんに

やってまいりました

少し甘めのスープに鳥肉が入って

鳥の出汁が良く出ており非常に美味しかったです。



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稲荷神社と明治天皇の石碑



明治天皇が東北を巡る訪問の際に

村山地区でトップクラスの大地主であった

半沢久次郎家に小休止した石碑が立っております。

半沢久次郎家の跡地に今の稲荷神社があります。



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立谷川を渡りますと天童市に入ります

続く

羽州街道を行く(銅町、千歳、長町編)

どーもKABUOです。

山形城下町編も終わり羽州街道を北上して

天童市方面を目指します。



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前回よりまず最初に銅町に到着します

銅町梅雨山形鋳物の製造で有名な町です



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道沿いに歩けば鋳物の製造販売を行う

お店が並んでおります。

銅町は前九年の役の際に源頼義に従軍した鋳物師が

馬見ヶ崎川に流れる良質な土質を見つけ

この地に止まった事が始まりとされています

そして最上義光時代に町作りの基礎を作られたと

言われています



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ここから馬見ヶ崎川を渡ります

銅町から馬見ヶ崎橋を渡り信号を左に曲がります。

今は千歳橋を渡り直進すると

落合スポーツセンターや山形県立病院に

到着しますが、信号を左に曲がるのが

羽州街道の旧道で山形市千歳地区になります。




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渡辺だんご屋さん



Googleマップで評判だったのでお団子を頂きました

山形では、ずんだ団子をぬた団子と呼びます

ぬた団子はかなり甘く、団子もモチモチと

評判通りの美味しさでした。



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古峯神社と水天宮



馬見ヶ崎川の畔でもある千歳地区は洪水も

度々と起こっており、水天宮を祀って

祈願を行いました。



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刈田神社



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旧道をガンガン進んで行きます。



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千歳地区はここまでです。

この十字路を渡れば次は山形市長町地区に

到着します。

写真を撮り忘れましたが(長~い町長町)の

看板が見えます。



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高橋時計店



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袮念寺



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(有)日の出自動車



県道22号線の下道をとことこ進んで行きます

古い農家の民家やちょっとした個人商店が

続いており道沿いにはお寺もあり街道の雰囲気が

残っております。



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羽前千歳駅



何かの雑誌かネットで読んだのですが、

中々こういった形状の駅って無いよね

みたいな記事がありまして



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先に進んで参ります。



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熊野神社



熊野神社

最上義光の家臣、落合伯耄守の館跡になり

山形城の北の守りの役割を持っていたそうです。



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近くには山形県立病院が見える

緑橋を渡り山形市七浦地区に向かいます



続く