KABUOカブで激走。山形、東北街道巡りの旅(たまには海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります。目標は東北市町村全制覇

羽州街道を行く(山形城下町編⑧)

山形城下町編も8回目となりました。

今回は相生町から宮町と進み

山形城下町編最後になります

でははりきってすすんで行きましょう‼。



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前回のこちらから県道22号線に沿って

左に曲がります。



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交差点を曲がって相生町、旧鍛冶町の柱を発見。

最上義光の城下町以来の鎌 鍬 等を製造する

職人町との説明がされています。

通り沿いを進むと金物屋さんがあり

町名の由来の面影が残っております。

最上義光時代にはまだ文翔館周辺は

馬見ヶ崎川から河川が流れており

火を取り扱う為、火災防止の観点でこちらに

鍛冶町を設置したと思われます。

その後、鳥居家、保科家時代に河川は

埋め立てられたと言われています。



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浄光寺



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菅原神社


その為、相生町の相生には(川が合流する)と

言った地名説があるそうです



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宮町にある山形市立第三小学校になります

周辺には旧四日町と旧伊賀町の柱があり、

四日町の由来は四日の日に市が立ち、

伊賀町の由来は諜報活動を行った、伊賀衆が

移住していたのが名前の由来になります。



・・・伊賀衆ってこの山形にいたの?

何かイメージわかないな~~。

というか忍者とか東北にいたのか?

謎が深まりますね?

今度、資料で調べてみましょう



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冨田歯科医院さんの十字路を今度は右に曲がり

県道22号線に沿って北に向かいます。



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ここら辺は宮町と言う地名で由来は

鳥海月山両所宮に由来すると言われております。



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北山形駅と駅前の小便小僧


やっと北山形駅まで到着しました。

基本的にKABUOはカブで現地に向かい、

後は徒歩で散策するので歩き疲れます。

北山形駅には季節事に着せ替えを行う

小便小僧がちょっとした有名スポットになってます

裏には「誘惑に負けない勇気、強い意志」と

書かれた看板が立っております

・・・・・誘惑に負けて、立ち小便してるっすよ。



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北山形周辺はこんな感じでした。

登下校の城北生がチラホラと歩いておりました。



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北山形駅近くのスーパー、ヤマザワ近くにこんな

柱が立っておりました

ハッピーミシンと言われてもピンときませんね

ある年代の方々はピンと来るのでしょうか?



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円応寺



宮町の観音堂公園まで少し歩き

円応寺さんに到着しました。

観光協会では

正平年間(1346~1369)に山形初代藩主斯波兼頼が山形城を築城中、当地に仮住まいをしたと言われる。その時、愛用のかぶとに施された、弘法大師作とされる約7cmの聖観世音菩薩の前飾りを、仮住まいに安置して守護仏としたことが創建の由来とされる。こういったいわれから「仮屋観音」と呼ばれ、人々の信仰を集めてきた。
 それから400年余り後、享保年間に山形の比丘光厳という僧侶が作像した大仏の胎内に本尊を安置した。このため「腹ごもり観音」と呼ばれた。

(山形市観光協会 引用)


と説明されております。

また円応寺さんは、最上三十三観音

4番目の参拝所になります



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では羽州街道を進んで参りましょう。

途中で鳥海月山両所宮の柱が立っており

参道はこちらからになります



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鳥海月山両所宮

http://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/db/cgi-bin/search/search.cgi?panel=detail&d01=883

(公式ホームページ)



宮町の地名の起こりとなった、山形随一の大きさを誇る鳥海・月山両所の神社。源頼義と義家によって康平6年(1063)に創建されたと言われています。古くから「お宮様」と称され、北の総鎮守として尊崇されてきました。
 縁起によると、康平6年(1063)正月、源頼義が阿倍貞任を征伐し、その戦捷のため、この地に両所宮を建立し、国家泰平・武門吉事の宮と称したという。
 明治以前は、別当寺は成就院(560石)で、その輩下に社陣21人(129石)があり、別に天台三ヶ寺として、如法堂(68石)・護摩堂(85石)・内御堂(50石)が、両所宮に奉仕していた。
 境内の金井の泉は、金井の庄の起源とされ、また、金売吉次の金洗いの井戸とも伝えられている。
 本殿は最上義光時代に大修理が加えられたが、寛永年中に焼失し、享保年中に再建されたものという。
 入口の山門は、天明3年(1783)6月の建立になり、高荘な楼門で、現在は随神門と称され、また、境内の城輪神社は、桃山時代の建物である。

(公式ホームページ 引用)



季節は4月頃でまだ桜も咲いており、

綺麗な風景がありました。

昔の地図を見ますとここら辺迄武家屋敷が続いて

おりました。



続く