KABUOカブで激走。山形、東北街道巡りの旅(たまには海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります。目標は東北市町村全制覇

福島県 北塩原村 裏磐梯を行く 磐梯山の噴火歴史編

どーもKABUOです。

今回は北塩原村の桧原地区の歴史について

ご紹介させて頂きます。

ブログでも軽く記載しましたが

 

yamagata.hatenadiary.com

 

1888年、明治21年磐梯山の大噴火により

地殻変動をお越し今の桧原湖が形成されたと言われています

今回はそれについて掲載させて頂きます。

 

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磐梯山噴火記念館

〒969-2701 福島県耶麻郡北塩原村桧原剣ケ峯1093−36

http://www.bandaimuse.jp

公式ホームページ

 

桧原湖の南側に磐梯山の噴火についての記録を

展示している、磐梯山噴火記念館がありますので

こちらで勉強することが出来ます。

 

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五色沼から見える磐梯山

1888年明治21年7月15日の水蒸気爆発により小磐梯が山体崩壊を起こし、発生した爆風と岩屑なだれにより北麓の集落(5村11集落)が埋没するなどの被害を及ぼし477人の死者を出した[8]。なお、マグマ由来物質は検出されていないためマグマ水蒸気噴火ではない[9]。この噴火は明治になってからの近代日本初の大災害であり、政府が国を挙げて調査、救済、復旧を実施した。調査は関谷清景や菊池安らにより行われた[10][11]。学術的調査としては、当時としては珍しいアンケートの手法が採られており、かなり詳細な噴火の経過や被害状況、写真が収集され、論文としてまとめられている[12]。のちに磐梯型との噴火形式名称が残るほど世界的に有名な噴火となった。復旧に当たっては義援金は3万8000円(現在の貨幣価値で約15億円に相当)が集まり[13]、復興を支えた。また、噴火前年の1887年に結成された日本赤十字社初の災害救護活動となり、さらに赤十字活動における世界初の平時救護(それまでは戦時救護のみ)ともなった。現在、五色沼近くに「平時災害救護発祥の地の記念碑」が建立されている。この山体崩壊で生じた土地の多くは当時の官有地であったため民間の資金と労力を利用した植林事業が行われ、泥流堆積地の7割を31年かけ緑化した[14]

(Wikipedia引用)

 

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磐梯山の噴火の地殻変動と土石流により旧桧原の集落が

桧原湖に沈んでしまいます。

写真の点線の部分が旧道となり山神社と書かれたあたりに

集落があったと記載されています。

 

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現桧原集落

その後、桧原集落は旧桧原集落から少し離れた

場所に再建される事となります

現在でも住人も住んでおりますし近くに温泉もあり、のどかな場所です

 

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記念館の展示品に当時の災害の写真も展示されていますので

桧原湖に行った際は訪れるのをおすすめします

 

 

まっぷる 福島 会津・磐梯'19

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