KABUOカブで激走。山形、東北街道巡りの旅(たまには海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります。目標は東北市町村全制覇

戦国武将葦名氏の支城と歴史 米沢会津街道を行く 塩川宿~会津若松城下

どーもKABUOです

 

前回の塩川宿から

会津若松の城下町入り口

七日町駅までの記録を記載します

 

yamagata.hatenadiary.com

 

福島県喜多方市塩川町から

会津若松市までの道中は

戦国時代に会津を治めていた

葦名氏の古城がいくつもあります。

 

色々と寄り道をした内容をご紹介します

 

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浜崎城跡

 

喜多方市塩川町から

阿賀川を渡ると湯川村に到着。

橋を渡って直ぐ左側に浜崎城跡と

書かれた柱がたっています

 

近くに説明書きの看板はないので

ネットで検索したところ

 

南北朝の動乱の最中に

この城が機能しており

葦名氏の支城であった事は

間違いないのですが

 

家臣の反乱でこの浜崎城に立て籠り

葦名氏により鎮圧されたと

記載されています

 

また阿賀川の河川の氾濫が相次ぐなか

河川から少し高めの現在位置に

移動となったそうです

 

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会津水子地蔵のお寺さん 遍照寺

浜崎城から県道326号線を通ると

水子地蔵の遍照寺さんの前を通ります。

 

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北田城址

 

街道から少し寄り道しますと

田んぼの真ん中に北田城址があります。

 

 

Wikipedia引用

 

 

葦名氏は黒川城(現会津若松城)を基盤に

会津一帯に勢力を拡大する中

浜崎城でもそうですが家臣や一族の反乱が

立て続けに起きたことが

読み取る事が出来ます。

 

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湯川村笈川小学校 笈川館跡

 

県道326号線を会津若松市に向かう途中

笈川地区、湯川村笈川小学校も中世の館が

あった場所だと言われており

 

Googleマップで確認すると館とついた

地名が残ってる事から確認する事が出来ます

 

1584年、笈川城主である栗村盛胤は

黒川城主葦名氏に対して

謀反を起こしますが鎮圧され廃城

 

1589年に伊達政宗の侵攻により

戦国大名葦名氏は没落してしまいます。

 

原因のひとつとして

家臣をまとめる事が出来ず

内部から崩壊した事が原因だったと

考えられるのではないでしょうか。

 

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勝常寺

 

県別まっぷるを使ってよく旅を行っているのですが

 

県別マップル 福島県 道路地図 (ドライブ 地図 | マップル)

県別マップル 福島県 道路地図 (ドライブ 地図 | マップル)

 

 

ここ勝常寺も有名のスポットらしかったので

少し寄ってみましたのでご紹介します。

 

 

勝常寺(しょうじょうじ)は福島県河沼郡湯川村にある真言宗豊山派寺院会津中央薬師堂とも称される。山号は瑠璃光山。本尊は薬師如来。寺に安置されている仏像のうち、国宝の木造薬師如来及び両脇侍像をはじめとする12体は平安時代初期の9世紀にさかのぼる造立である。毎年4月28日には薬師如来の祭礼として念仏踊りが催されている。

 

安時代初期の弘仁年間(810年 - 824年)に法相宗の学僧・徳一(760?年 - 835?年)によって開かれたといわれている。徳一は中央(畿内)の出身で、藤原仲麻呂の子とも言われるが確証はない。20歳代で関東に下り、会津地方を拠点に宗教活動を行った。日本天台宗の宗祖である最澄と三一権実(さんいちごんじつ)論争と呼ばれる、天台宗と奈良の旧仏教の優劣に関わる論争を行ったことでも知られる。徳一の開創が確実視される寺院としては慧日寺(恵日寺、福島県磐梯町)と筑波山中禅寺茨城県つくば市)があり、その他にも多くの寺院を建立したと伝えられる。勝常寺については、徳一の創建を伝える文献等の直接的史料はないが、当寺には本尊薬師三尊像をはじめ、9世紀にさかのぼる仏像が多く残り、これらは徳一が関係した造仏であると考えられている。

 Wikipedia引用 

 

 

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県道326号線をまっすぐ進めば

会津若松市に到着。

 

市街地を走っていますと

会津名産の馬刺しを扱った

精肉店を目にすることが出来ます

 

県道326号線から

今度は国道256号線から

進み会津若松城や城下町へ

 

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七日町駅

 

北塩原の桧原地区から始まった

米沢会津街道の旅は

一旦ここで終わりになります。

 

旅の期間が二日と時間が

なかったことがあげられます

また時間を作りましてお城と一緒に

レポートする予定ではあります。

 

今度訪れる際は会津の歴史を一

から勉強を行い戦国大名葦名氏、

蒲生氏郷上杉景勝時代から

江戸時代、そして戊辰戦争までを

ポイントを押さえてご紹介出来ればと

思っております。

 

まっぷる 福島 会津・磐梯'19 (まっぷるマガジン)

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